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大阪地方裁判所 昭和59年(人)7号 判決 1985年1月31日

請求者

甲野夏男

右代理人

平栗勲

被拘束者

甲野太郎

右代理人

高瀬桂子

拘束者

乙山冬子

乙山ハナ

乙山秋夫

主文

被拘束者を釈放し、請求者に引渡す。

本件手続費用は拘束者らの負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求者

主文同旨の判決。

二  拘束者ら

1  請求者の請求を棄却する。

2  被拘束者を拘束者らに引渡す。

との判決。

第二  当事者の主張

一  請求の理由

1  請求者と拘束者乙山冬子(以下、拘束者冬子という。)は、昭和五〇年三月二五日婚姻してその届出をし、その間に昭和五四年二月二一日被拘束者をもうけた。

2  請求者と拘束者冬子は、昭和五五年一月一八日、被拘束者の親権者を請求者と定めて協議離婚した。

3  被拘束者は、右離婚後請求者の実母の甲野春子及びその妹の丙山ケイによつて事実上監護養育されていたが、拘束者冬子、その母の同乙山ハナ(以下、拘束者ハナという。)が、昭和五九年八月二日、熊本県菊池市内の甲野春子方を訪れて被拘束者を連れ帰り、拘束者冬子、同ハナ及び拘束者冬子の弟の拘束者乙山秋夫(以下、拘束者秋夫という。)は、以来拘束者冬子の肩書住所地の自宅で被拘束者を監護養育し、同人を拘束している。

4  よつて、請求者は、人身保護法に基づき、被拘束者の釈放と請求者への引渡を求める。

二  請求の理由に対する拘束者らの認否

1  請求の理由1、2の各事実は認める。

2  同3の事実のうち、被拘束者が両親の離婚後請求者の実母である甲野春子の妹の丙山ケイによつて事実上監護養育されていたこと、拘束者冬子、同ハナが昭和五九年八月二日熊本県菊池市内の甲野春子方を訪れて被拘束者を連れ帰り、拘束者冬子、同ハナ及び拘束者冬子の弟の拘束者秋夫は、以来拘束者冬子の肩書住所地の自宅で被拘束者を監護養育していることは認め、その余の事実は否認する。

三  拘束者らの抗弁

1  拘束者らによる被拘束者の監護は、次のとおり同人を事実上監護していた丙山ケイの要請によるもので、違法な拘束ということはできない。

(一) 拘束者冬子は、被拘束者を監護していた丙山ケイから、請求者の借金のために被拘束者の服も買えない状態であり、また、丙山ケイ自身も自分の生活で一杯で余裕がなくこのままでは被拘束者の養育ができないので、同人の養育について相談をしたいから熊本に来てほしい旨の電話を受けた。

(二) そこで、拘束者冬子、同ハナは、昭和五九年八月、熊本の丙山ケイ方を訪れると、同人から、請求者が大阪府枚方市に居住していて被拘束者の養育費を全く送らずその養育に全く無関心であり、丙山ケイ自身も耳が悪く生活に不安があり被拘束者の世話はこれ以上できないし、同人は他の子供に比べて言葉も話せないし知恵も遅れているので、同人を是非連れて帰つて母親である拘束者冬子の下で養育してほしい旨の話が出された。

(三) これに対し、拘束者冬子は、弟の拘束者秋夫と相談する必要があるので即答できないと言つたが、丙山ケイが被拘束者の通つている保育園の夏休みの間だけでも同人を拘束者冬子の自宅に連れて帰つてほしい旨頼んだので、拘束者冬子、同ハナは、拘束者秋夫が承諾すれば拘束者冬子の下で養育するとの約束のうえで被拘束者を連れて帰つた。拘束者冬子、同ハナは、被拘束者を京都へ連れて帰つた後、拘束者秋夫と相談したところ、拘束者秋夫も被拘束者を母親の手で育てることに賛成して自らも援助するというので、丙山ケイの依頼通り拘束者冬子の下で被拘束者を監護養育することにした。

2  請求者と拘束者ら双方の監護者としての適格を比較すると、拘束者らの方がはるかにすぐれており、請求者に被拘束者を引渡すことは明らかにその幸福に反するから、拘束者らによる被拘束者の監護には違法性はない。

(一) 請求者は、借金をかかえ現在大阪府枚方市に住んでいるが、丙山ケイらに被拘束者の養育費を全く送らず、逆に実家に送金を度々要求し、被拘束者の養育には全く無関心であり、また、たまたま知り合つた韓国人の女性と結婚したが数か月で別れるなどその女性関係は乱れており、被拘束者の親権者としての能力に欠けている。

(二) 被拘束者をこれまで事実上監護養育してきた丙山ケイは耳も悪く将来の生活に不安を感じており、また、これまで独身を通してきて結婚を希望しているが被拘束者のことを考えると結婚できない状況にある。

(三) 被拘束者は、拘束者冬子の自宅に連れて帰られた当時、近所の同年代の子供達に比べその言葉がはつきりしないで何を言つているのかわからずかなりの知恵遅れのようであり、また運動などについても遅れているようで、自ら電話に出ることもできない状況にあつたが、拘束者秋夫の子供や近所の子供達と遊ぶことにより最近は言葉も明瞭になり言葉の種類も増えてきている。

(四) 拘束者冬子の弟の拘束者秋夫も被拘束者の父親代りとして同人の監護養育につきできる限りの援助をする態勢にある。

四  拘束者らの抗弁に対する請求者の認否及び主張

1  抗弁1の事実のうち、拘束者冬子、同ハナが昭和五九年八月丙山ケイ方を訪れ、被拘束者を拘束者冬子の自宅へ連れて帰つたことは認め、その余の事実は否認する。拘束者冬子、同ハナは、同月二日、突然、被拘束者の祖母である甲野春子方を訪れ、同人に対し、被拘束者を同人が通つていた幼稚園の夏休みの間だけ一か月間預からしてほしいと頼んだので、甲野春子は右拘束者両名の気持を尊重して夏休み期間の一か月間だけの約束で被拘束者を右拘束者両名に預けることを同意したにすぎない。甲野春子らは約束の一か月が終ろうとしていたので、同月二九日、被拘束者を連れて帰るために京都に赴いたが、拘束者らはいずれも「太郎は渡さぬ。子供は自分達で世話するから養育費三〇〇万円よこせ」などと一方的にまくしたてて甲野春子らを追い返した。

2(一)  抗弁2(一)の事実のうち、請求者がたまたま知り合つた韓国人の女性と結婚したが数か月で別れたことは認め、その余の事実は否認する。請求者は、離婚当時熊本県菊池市で実母の甲野春子らと同居していたが収入を得るため、昭和五六年三月七日、大阪へ出て塗装工として働くようになつた。そのため、請求者は被拘束者を甲野春子に預けざるを得なくなつたが、大阪に来てからも常に熊本の実家と連絡をとり、被拘束者の成長を楽しみにして金銭の仕送りをしてきた。請求者は、現在、肩書住所地において単身塗装工として就業しているが、近い将来、熊本に帰り両親や被拘束者と同居して生活する準備をしている。

(二)  抗弁2(二)ないし(四)の事実は否認する。

第三  疎明関係<省略>

理由

一請求の理由1、2の各事実及び被拘束者は両親の離婚後請求者の実母甲野春子の妹丙山ケイによつて事実上監護養育されていたこと、拘束者冬子、同ハナが昭和五九年八月二日熊本県菊池市内の甲野春子方を訪れて被拘束者を連れ帰り、以後拘束者らが拘束者冬子の肩書住所地の自宅で被拘束者を監護養育していることは当事者間に争いがない。

右事実によると、被拘束者は五年一一月の意思能力のない幼児であるから、右のように同児を監護養育している拘束者らの行為は、人身保護法及び同規則にいう拘束にあたるというべきである。

二拘束者らは、拘束者冬子、同ハナは、丙山ケイの要請に基づき被拘束者を拘束者冬子の自宅で監護養育する約束の下に連れ帰つた旨主張し、拘束者冬子本人尋問の結果中には右主張にそう供述部分があるが、右供述部分は後記各証拠と対比してたやすく措信できず、かえつて、<証拠>を総合すると、次の事実が一応認められる。

1  被拘束者は、その両親の離婚当時一才未満であり、親権者である請求者も同居していたその両親もそれぞれ仕事を持つていたため、請求者の実家の近くに住む甲野春子の妹でやや耳の不自由な丙山ケイがその世話をすることになつた。しかし、被拘束者は、丙山ケイが子供を養育した経験がなかつたので、同人が被拘束者の世話を始めた直後からみゆき保育園で、昭和五七年四月からは第三幼楽園でそれぞれ保育を受け、右保育を受けない時間のうち、保育園から帰つた夕方から甲野春子が仕事から帰る午後一一時ころまでは主として丙山ケイの、その余の時間は主として甲野春子の監護の下にあつた。

2  丙山ケイは、昭和五九年七月末ころ、拘束者冬子から拘束者秋夫の子供と二人で遊びに行つてよいかという電話を受けたので、それを了承した。拘束者冬子、同ハナ及び同秋夫の子供の三名は、同年八月二日、丙山ケイ方を訪れ、同月五日まで丙山ケイ方に宿泊したが、その間、拘束者ハナから甲野春子に被拘束者を保育園が夏休みの間の一か月間だけ拘束者冬子らの方で預かりたい旨の申入れがあつたので、甲野春子は、被拘束者を旅行させるつもりで拘束者冬子らに一か月間だけと念を押して預けることを承諾した。そこで、拘束者冬子、同ハナは、同月五日、被拘束者を拘束者冬子の自宅に連れて帰り、以後、そこで拘束者冬子か、同人が勤めに出ている間は拘束者ハナ(拘束者冬子方の近所で息子の同秋夫と同居)が被拘束者の世話をしている。

3  甲野冬子、丙山ケイらは、被拘束者の通つている第三幼楽園の夏休みが終りに近づいたので、同月二九日、被拘束者を連れ帰るために京都に赴いた。甲野春子らは、拘束者冬子らに被拘束者を京都駅に連れて来るように頼んだが、拘束者冬子らから拘束者秋夫方に来るように言われたので同人方を訪れた。甲野春子らは、拘束者秋夫から被拘束者の知能は遅れているので拘束者らの方で被拘束者を養育するから相当な額の養育費を出すように言われ、大阪府枚方市にいる請求者を呼び寄せて拘束者秋夫らと話をさせた。しかし、結局、拘束者らは被拘束者を渡すことを拒否した。

右事実によると、拘束者冬子、同ハナは、被拘束者を第三幼楽園の夏休み中の一か月間だけ預かるという約束の下に甲野春子の同意を得て拘束者冬子の自宅へ連れ帰つたもので、既に右期間が経過した以上、拘束者らの被拘束者の監護は親権者、監護権者の同意を得た適法なものと認めることはできないから、拘束者らの右抗弁は理由がない。

三次に、拘束者らの方が請求者より被拘束者の監護者としての適格があり、請求者に被拘束者を引渡すことはその幸福に反するから、拘束者らの拘束に違法性がない旨の拘束者らの抗弁について判断する。

<証拠>を総合すると、次の事実が一応認められる。

1  請求者は、離婚後熊本県菊池市の実家の近くで飲食店営業をしていたが、経営に失敗し、約三〇〇万円の借金ができたので、昭和五六年三月七日、大阪府枚方市にいる叔父の丙山(甲野春子の弟)を頼つて同市に赴き、丙山の経営するすし屋を手伝つたり塗装工として働き毎月約二七・八万円の収入を得てその中から被拘束者の養育費として毎月二万円ないし三万円を現在まで実家に送金してきた。請求者は、この間の昭和五七年三月ころ、たまたま知り合つた韓国籍の女性と婚姻届を出したが、右女性は右婚姻届出後一週間ほどして所在不明となつた。請求者は、それ以後今日まで独身である。

2  請求者は、現在、丙山の経営するすし屋の手伝はやめて塗装工としてのみ働き月収一六万円ないし一七万円を得ているところ、昭和六〇年から実家から通勤できるところにある自動車の部品工場で勤務することになつており、前記約三〇〇万円の借金は既に甲野春子が請求者に代つて完済しているので、被拘束者を引取つて実家において両親とともに生活し、被拘束者の小学校入学等その監護養育に努めることを決心している。

3  請求者の父親の甲野邦夫はホテルの雑用係として勤務して月収約一〇万円、母親の甲野春子はすし屋に勤務して月収一七・八万円をそれぞれ得ているところ、甲野春子は勤務先が間もなく定年になることもあり、被拘束者の引渡を受けた後は勤務先を退職し、同人の監護養育に専念するつもりでいる。また、請求者の両親の住んでいる家は約二五坪の広さで持家である。これまで被拘束者の世話をしてきた丙山ケイはKと交際しているが、同人は被拘束者のことを理解しており、同人の世話には支障はない。

4  甲野春子は、被拘束者が三才のころ、言葉を覚えるのが遅いのに気づき保健所で同人をみてもらつたところ、被拘束者の言葉が遅いのは先天的なもので直らないと言われているものの、同人を毎月一回保健所に連れて行つて訓練を受けさせたり、仕事が休みのときなどに被拘束者に絵を描くことや字を書くことを教えてきた。

5  拘束者冬子は、離婚後、一たん京都府宇治市内の実家に帰つたが、昭和五五年五月ころ再び熊本へ来て、丙山ケイの紹介で玉名市のスナックに住み込みで働きそこは約一年でやめ、その後、昭和五八年三月ころ、宇治市内の実家に帰るまで熊本県内で旅館の住み込みなどをして約四か所で働き、実家へ帰る直前はスーパーで働いた。拘束者冬子は、この間、被拘束者と会うこともあつたが、甲野春子らと被拘束者の養育について話合つたことはなかつた。拘束者冬子は、昭和五八年三月ころ、実家に帰つて後、肩書住所地に家を借りて住み、同年六月ころから約四か月間京都市内の子供服の専門店に勤め、その後、宇治市内の建設会社に約四か月勤務して事務関係の仕事をし、右会社を退職した後は宇治市内の株式会社信栄建装に勤務して月収約一二万円を得て現在に至つているが、この間の昭和五九年九月三〇日、交通事故にあつて負傷し同年一二月二一日まで入院した。拘束者冬子は、現在、右会社は交通事故のため休職中で、交通事故の加害者から損害賠償として毎月一五万円の支払を受けているが、いつから出勤するか未定である。なお、拘束者冬子は、同年九月二〇日ころ、大阪家庭裁判所に親権者変更の調停申立をしているが、同人が交通事故で出頭しなかつたため調停期日は一回も開かれていない。

以上のとおり一応認められ、右認定を左右するに足りる疎明資料はない。

ところで、本件は、離婚した男女の間で、親権を有する一方(請求者)が監護権を有しない他方(拘束者ら)に対し、その親権に服すべき幼児(被拘束者)の引渡を求める場合にあたるから、請求者と拘束者ら双方の監護の当否を比較衡量したうえ、被拘束者を請求者の監護下におくことが明らかに子の幸福に反し著しく不当であると認められる事情のない限り、拘束者らの拘束は顕著な違法性があるというべきである。右認定の事実に前記二の事実をも総合すると、請求者は、これまで被拘束者の養育費を毎月送金し、今後も母親や叔母とともに小学校入学等その監護養育に努める決意をもつていて、被拘束者に対する愛情を十分に看取することができるうえ、請求者は現在定職につき相当な収入を得ており熊本の実家へ帰つても勤務先は確保され、借金も完済されていて生活に困る状況にはないこと、また、甲野春子は勤めをやめて被拘束者の監護養育に専念する予定であるし、丙山ケイも従前通り被拘束者を世話できる状況にあること、被拘束者が言葉を覚えるのが遅いのは先天的なもので甲野春子や丙山ケイの監護の方法に問題があつたためではないこと、一方、拘束者冬子は、離婚直後に一才未満の被拘束者の監護養育を請求者にまかせて以来四年以上の間被拘束者を請求者やその親族に監護養育させ、その間自らは転々と職業をかえて右養育に何ら意を用いなかつたのに、昭和五九年の夏に至つて突然幼稚園において保育中で翌年は小学校入学予定の被拘束者を夏休みの一か月間だけと称して連れ帰つたので、被拘束者は幼稚園での保育を中断されることになつたもので、拘束者らの監護が請求者側に比して被拘束者の幸福に資するものとはいえないこと、が認められ、これらの事情を総合すると、被拘束者を引取つた場合の請求者側の監護の態勢は一応整備されていて劣悪な状態とは言えず、拘束者ら側の監護状態と比較しても、請求者に被拘束者を監護養育させることが明らかにその幸福に反するものとは到底認めることができず、他に被拘束者を請求者の監護下におくことがその幸福に反して著しく不当であるとすべき事情を認めるに足る疎明資料は存しない。

四以上の次第により、請求者の本件請求は理由があるから、これを認容して被拘束者を釈放し、人身保護規則三七条後段により被拘束者を請求者に引渡し、本件手続費用の負担につき人身保護法一七条、同規則四六条、民事訴訟法八九条、九三条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官山本矩夫 裁判官朴木俊彦 裁判官川野雅樹)

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